戦争が終わって間もない、昭和二十年代。
一組の夫婦が仕事を求め、ふるさと新潟から北海道の開拓地へ入植した。見知らぬ土地、しかも冬は-30℃にもなる極寒の地で毎日続く農耕作業。若い夫婦は現実の厳しさにうちひしがれる。しかし、そんな夫婦を支えてくれたのが現地の方や仲間たちの「温かさ」「やさしさ」「笑顔」。
そして、心の安らぎを与えてくれたのは開拓地近くの「摩周湖」の姿だった。
摩周創業者:石塚重三、レス 夫婦
極寒の地で行われた開拓作業
心を癒しに度々訪れた「摩周湖」
馬を操っての耕運作業
開拓地は市街地から遠く離れ、日用品の入手が困難な山奥の原野。「お世話になっている皆さんの役に立ちたい。恩返しをしたい。」そんな想いで、夫婦は寝食を忘れ働き、開拓地に日用品を扱うお店を始める。夫婦と同じく入植者皆の努力で、開拓地もだんだんと豊かになり、夫婦は北海道での定住する決意する。
しかし、十数年後。
仲間と共に過ごした思い出の地が自衛隊の演習地になることが決まった。夫婦はやむを得ず帰郷する事を決意。 そして帰郷から数年後、夫婦は北海道でふれた人のぬくもりや笑顔を新潟の方にも感じていただきたいと願い、ふるさとの月岡の地で温泉旅館を始める。
苦しさ辛さを忘れさせてくれた雄大で美しい摩周湖のような宿を目指して、、、
屋号は「摩周」。
創業当時の摩周のエントランス
現在の摩周のエントランス
私は両親が北海道で開拓に従事している時に生まれ、小学校低学年まで北海道で育ちました。父は毎日深夜2時には起き、日が暮れても働いている。その開拓の功績を新聞で報じられる程の働き者でした。母も父と同じく働き者で、開拓の傍ら日用品を扱う雑貨店も営んでいました。私と妹は一緒に北海道に移り住んだ親戚の元に預けられる程、毎日一生懸命働いていました。
見ず知らずの土地で過酷な生活を送る中、地元の方達の優しさや温かさが本当に心の支えになったと良く話していました。人と人とのふれあい、助け合う事の大切さ。それこそが摩周おもてなしの原点です。
北海道の開拓地が自衛隊の演習地として買い上げられた為、帰郷した両親が始めたのが旅館です。北海道への想いを込めて屋号は、摩周湖から「摩周」と命名。私が小学生の頃です。
母の天性の明るい性格と良い意味でのおせっかいさ、人情味ある人柄が摩周らしいおもてなしの礎だと思います。言い方は決して良くないですが、好景気になり月岡温泉にも県外から沢山お金を使っていただけるお客様が観光バスで沢山来ていただける時代になった時も、母は地元のお客様を優先的に受け入れていました。創業時に集客に苦労した時に、摩周を応援し利用してくれた多くの地元の方々。母にとっては目先の利益よりも、そんな皆さんとの心の繋がりの方が大切な事だったのだと思います。とても母らしいと思います。
父や母が大切にしてきた「人と人との心のふれあい」。おもてなしの本質はやはり『心』だと確信しています。目の前にいらっしゃるお客様にごゆっくりお寛ぎいただきたい。楽しんでいただきたい。そう思う心こそ「おもてなし」だと考えます。
心を通わせる事。おもてなしの心を感じていただけたお客様が笑顔に、そして接客をしている従業員も笑顔。そんな温泉旅館でありたいと願い、摩周の営業理念は「心のふれあい大切に笑顔あふれるおもてなし」としています。
両親が北海道から持ち帰り、地元月岡で育んだ「おもてなしの心」、これからも多くの皆様とのふれあいの中で、より大きく育んで行ける温泉旅館を目指して行こうと思います。
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